第1回「宗教とは何か」 水口秀樹(主催者)「私の『正法眼蔵随聞記』」。

 

道元(1200~1253)曹洞宗の開祖。宋から帰国後、旧仏教から迫害され、のちに越前に隠棲し、永平寺を開創。彼の弟子懐奘が師の折に触れて教示した教えを書き残したのが、この『正法眼蔵随聞記』である。主著は『正法眼蔵』。

 

〇私は普段、岩波文庫の『正法眼蔵随聞記』を持ち歩き、仕事の前の数分の間、読んでいる。学問的に読んでいるというよりも、生きる上での指針、生活の支えとして取り組んでいる面もある。その行為は私の幸福にかかわり、どう考え、どう行動するかのヒントになる。ここでは講義で述べた一部をご紹介する。

 

〇宗教の文化的所産か人間か

この話は道元の先生、栄西が建仁寺にいた時のことである。数日間、絶食している貧人が建仁寺に来て、「このままでは餓死するしかないので、慈悲をもってお救いください」という趣旨のことを述べた。あいにく寺には、衣食財物がなかった。そこで栄西は薬師の像の光の銅棒を取って、折り束ねて与えた。すると弟子たちは反発。「あれは仏像の光だ。仏の物を私するのは怪しからぬ」と。それに答えて栄西はいう。「まことにその通りである。が、仏は自分の身肉手足を割いて衆生に施した。この仏の心を思えば、現に餓死すべき衆生には仏の全体を与えてもよかろう。自分はこの罪によって地獄に落ちようとも、この事をあえてするのだ」。

 この話から何を考えるか。文化財として重要な仏像と目の前で餓死しそうな人、どちらを優先するのか。どちらを優先することが仏教の教えなのか。もちろん、釈尊と栄西は仏像より目の前の人間を優先する。その精神が仏教の教えであるはずだと、この話題は教えてくれる。

 民主主義でも仏教でも、その精神よりも形式だけを守ればいいと考えがちになる。選挙にだけ勝てばいいというのは、民主主義の精神ではない。